3分でわかる!平安仏教|密教とは?真言宗・天台宗を徹底解説!

平安時代

平安仏教の成立

桓武かんむ天皇の保護により平安仏教が成立します。平安仏教は桓武天皇が支持した新しいカタチの仏教です。

桓武天皇はなぜ新しい仏教を支持したのでしょうか?

政治への影響が強すぎた旧来の仏教

それは平城京では、とにかく旧来の仏教の政治への影響が強すぎたからです。

宇佐八幡宮神託事件

道鏡が皇位を狙った宇佐八幡宮神託事件うさはちまんぐうしんたくじけんが起こってしまうほど仏教の政治への介入は酷かったわけです。

長岡京への遷都

また、桓武天皇が784年に平城京から長岡京へ遷都した主な理由も強すぎる仏教勢力と距離を置くことでした。

実際、桓武天皇は平城京の大寺院が長岡京や平安京に移転することを認めませんでした。仏教勢力があまりにも政治の世界に介入しすぎていたのです。

政治への影響が少ない新仏教

こうした背景から桓武天皇は政治への影響が従来の仏教より少ない新しいタイプの仏教を支持したのです。

では、そうした新しい仏教とはどのようなものでしょうか?

平安仏教の特色

平安仏教の特色は最澄さいちょうを開祖とする天台宗てんだいしゅうや、空海くうかいを開祖とする真言宗しんごんしゅうといった密教みっきょうです。これに対して従来の仏教を顕教けんきょうといいます。

密教とは

密教とは秘密の呪法(おまじない)の習得により、悟りを開こうという考え方のことです。こうした密教のお祈りのことを加持祈禱かじきとうといいます。

密教の特徴はこうした加持祈禱により災いを避け、幸福を追求する現世利益の重視です。現世利益とは実生活での利益のことですね。実生活の利益とは具体的には恋愛成就や合格祈願などのことです。

このように現世利益を追求するところが受け入れられ、貴族や皇族の間で密教が流行しました。

天台宗とは

最澄さいちょうは遣唐使で中国に学び、日本に帰国後、「天台宗」を創始しました。中心となる寺院は比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじです。天台宗は最初は密教ではありませんでしたが、後に密教化します。

従来、仏教の僧になるには東大寺や下野薬師寺しもつけやくしじなどの限られたお寺で修行し、免許を取得する必要がありましたが、これに疑問を抱いた最澄は、新しく独自に僧の免許を与える制度である大乗戒壇だいじょうかいだんの創設を目指しました。戒壇かいだんとは仏教の免許を取得するための場所のことです。

大乗戒壇の試みは東大寺をはじめとする旧来の仏教勢力から強い反発を受けますが、最澄は『顕戒論けんかいろん』を記して、これに反論します。そして最澄の死後、大乗戒壇は公認され、比叡山延暦寺は仏教・学問の中心となっていくのです。

また、天台宗が密教化したものを台密だいみつといいます。天台宗の密教化を成したのは、最澄の弟子の円仁えんにん円珍えんちんです。

しかし円仁と円珍は後に方向性の違いから異なる道を歩むようになり、円仁は山門派さんもんは延暦寺えんりゃくじ)の祖となり、円珍は寺門派じもんは園城寺おんじょうじ)の祖となります。

真言宗とは

空海は最澄と同じ804年の遣唐使で唐への留学を果たしますが、最澄が805年に帰国したのに対し、空海は翌806年に帰国します。

1年多く中国に留学した分、空海は最新の仏教である密教をいちはやく日本に伝えます

天台宗が後に弟子の手により密教化したのに対し、空海の開いた真言宗は最初から密教だったわけです。

密教の教えの場としては高野山金剛峯寺こうやさんこんごうぶじと平安京内の教王護国寺きょうおうごこくじ東寺とうじ)の2つがあります。

また天台宗が台密と言われるのに対し、真言宗は東密とうみつと言われます。

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