3分で分かる!藤原道長と摂関政治を簡単にわかりやすく解説!

平安時代

969年、安和あんなへん源高明みなもとのたかあきらが謀反の罪で太宰府に流されると、藤原氏の他氏排斥たしはいせきが完成し、北家が権力を独占するようになります。その結果、これ以降、摂政・関白が常に置かれるようになります。

摂関政治とは

まず「摂関政治とは何か?」を復習しておきましょう!

  • 摂政:天皇が幼少期または女性の場合、政務を補佐・代行する役職
  • 関白:成人後の天皇の政務を補佐・代行する役職

摂関家とは

摂関家せっかんけとは摂政・関白をだす家柄のことです。摂政・関白をだしていれば、何家でも摂関家せっかんけなわけですが、摂関家はほぼ藤原北家ほっけに独占されていました。

さて摂関家のトップを氏長者うじのちょうじゃといいます。この氏長者うじのちょうじゃの地位を狙って藤原氏内部で争いが起きます。

例えば、藤原兼通かねみち(兄)と藤原兼家かねいえ(弟)の争いや、藤原道長みちながと藤原伊周これちかの争いが有名です。

藤原道長の台頭

こうした争いで勝ち残ったのが藤原道長ふじわらのみちながです。藤原道長ふじわらのみちなが氏長者うじのちょうじゃとなり政権を独占します。

藤原道長は4人もの娘を天皇に嫁がせて、後一条ごいちじょう天皇、後朱雀ごすざく天皇、後冷泉ごれいぜい天皇の外祖父がいそふとして絶大な権力を握ります。

※道長は摂政にはなりましたが関白にはなりませんでした

外祖父がいそふとは母方のおじいちゃんのことです。

補足

天皇の母方の親戚のことを外戚がいせきといいます。平安時代の貴族社会では母方の縁をとくに重視しました。その外戚の中でも母方のおじいちゃんをとくに外祖父がいそふといいます。つまり、外祖父は外戚でもあるわけですね

さらに道長の子である藤原頼通ふじわらのよりみちは50年間にもわたって、3人の天皇の摂政・関白になり続けました。

これらの時期は藤原北家の絶頂期といえます!

補足

摂関政治とは天皇の権力の大部分を自分のものとして国政を運営することですが、摂政・関白として権力を握るには、天皇の外戚(とくに外祖父)であることが非常に重要でした。

しかし、藤原頼通から先、藤原氏は権力を徐々に失っていくことになります。頼通は娘に恵まれず、天皇家の外祖父になれなかったからです。

補足:平安時代の政治の特色

天皇が摂関家の強い意向を受けながら太政官を通じて全国支配を行うというのは建前で、実際の平安時代の政治は、先例や儀式を重視しつつ、年中行事ねんちゅうぎょうじを淡々とこなしていくことや、役人に官位を与える叙位じょいや役人を任命する除目じもくが政務の中心でした。

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