3分でわかる!応天門の変を簡単に超わかりやすく解説!

平安時代

承和じょうわへんで藤原北家の外戚としての地位が確かなものになると、藤原良房ふじわらのよしふさは、娘の明子めいし文徳もんとく天皇に嫁がせます。

実質的な摂政就任

その結果、藤原良房ふじわらのよしふさ明子めいし文徳もんとく天皇の間に産まれた惟仁親王これひとしんのうをわずか9歳で清和せいわ天皇(在位:858~876)として即位させ、実質的に摂政せっしょうとしての役割を果たすようになります。

摂政せっしょうとは天皇が幼少のときに政務を補佐する役職です。皇族ではなく人臣じんしん(家来)が摂政の地位に就くのはこれがはじめてです。

伴善男の反対

しかし当時、その政務能力を買われ、大納言にまで出世していた伴善男とものよしおは藤原良房が摂政になることに反対します。伴善男とものよしおは学識に優れた人物であり、名門である伴氏の最高権力者です。

応天門の変

このとき伴善男と左大臣の源信みなもとのまことは権力争いをしていたのですが、伴善男は源信みなもとのまことを失脚させるために応天門に火をつけ、源信をこの犯人に仕立て上げようと企みます。

しかし、この企てが失敗し、伴善男は応天門に放火した罪で伊豆に流されてしまいます。

これが866年の応天門おうてんもんへんです。

藤原北家の権力拡大

この結果、摂政就任に反対する勢力はいなくなり、藤原良房はさらに権力を高めていくわけです。

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