班田収授の困難化と直営田の経営!官田・公営田の運営と失敗

平安時代

ここでは平安時代初頭の桓武・平城・嵯峨天皇の時代の社会・経済史を見ていきます。

班田収授が困難化した理由

平安初期には班田収授が難しくなってきます。農民の貧富の差も拡大し、税を払えない農民も増加します。

税を支払えない農民は浮浪ふろう逃亡とうぼうのように土地を捨てて逃げてしまったり、偽籍ぎせきによって、戸籍に偽りの登録をさせます。

例えば男性が女性と偽ったりしました。女性の方が税負担が大幅に少なかったからです。

桓武天皇の対策

班田収授を12年に1回に改める

こうして班田収授が困難になっていくと桓武天皇は班田が確実に行き渡るように班田を年に1回から12年に1回に改め、事務手続きを簡略化します。

農民の税負担の軽減

さらに桓武天皇は公出挙くすいこの利率を割から割に減らし、雑徭ぞうようの負担も60日から30日に半減させます。

公出挙くすいことは国司が農民に強制的に稲を貸し付ける制度でしたね。雑徭ぞうようとは国司のために土木工事などをする労役のことでした。

こうして税負担の軽減を実施しますが、十分な効果はなく班田収授はうまくいきませんでした。

直営田の運営

そこで、税収を安定させるために、政府は有力農民を直接指定して収入を確保するようになります。これを直営田ちょくえいでんといいます。

直営田ちょくえいでんの先駆けとなったのは823年に小野岑守おののみねもりの意見を取り入れて、太宰府だざいふで実施された公営田くえいでんです。

公営田くえいでんは一般農民に耕作させ、官費で経営を行い、収穫物は官有とする仕組みでした。

これに続く、政府所有の田地を官田かんでん、中央の省庁が所有する田地を諸司田しょしでん、天皇所有の田地を勅旨田ちょくしでん、皇族所有の田地を賜田しでんといいます。

つまり、政府が荘園しょうえんの経営方法を取り入れたわけです。荘園しょうえんとは私的な大土地所有のことですね。

院宮王臣家の増加

しかし、この様子を見た貴族などの有力者も私的に多くの田地を所有するようになります。これを院宮王臣家いんぐうおうしんけの増加と呼びます。

こうして院宮王臣家いんぐうおうしんけが増加すると、班田収授はさらに行き詰まる結果となっていき、国家財政も圧迫されます。

用語解説

院宮王臣家とは8世紀末~9世紀頃、新たに台頭した有力農民と結びついて、大土地所有を展開した皇族や貴族のことです。

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