薬子の変(平城太上天皇の変)を簡単にわかりやすく解説!

平安時代

平城天皇の即位

806年に桓武かんむ天皇が死去すると、桓武天皇の子の平城へいぜい天皇(在位:806~809)が即位します。

このとき権力を握ったのが式家しきけ出身の藤原薬子ふじわらのくすこという女性です。

しかし平城へいぜい天皇は即位してすぐに病気になる。

嵯峨天皇の即位

そこで、平城天皇は弟の嵯峨さが天皇(在位:809~823)に位を譲り、平城上皇へいぜいじょうこうとなります。

藤原薬子の暗躍

ところが兄の平城上皇へいぜいじょうこうは弟の嵯峨さが天皇に皇位を譲ってすぐに病気が治って元気になる。

すると、藤原薬子ふじわらのくすこは平城上皇を再び即位させ、平城京へいじょうきょうで政治を再開するようそそのかします。

薬子の変

二所朝廷

こうして810年になると平安京へいあんきょうを拠点とする嵯峨天皇と平城京へいじょうきょうを拠点とする平城へいぜい上皇が対立します。

つまり、政府が同時に2箇所にある状況になってしまったわけです。これを二所朝廷にしょちょうていと呼びます。

嵯峨天皇の素早い対応

嵯峨天皇はこの状況に素早く対応します。

まず平城京で藤原薬子に協力していた藤原仲成ふじわらのなかなりを捕らえます。平城上皇と藤原薬子は東国に逃げて挙兵を企みますが、坂上田村麻呂さかのうえたむらまろがこれを阻止します。

その結果、平城上皇は出家して政治の世界を退き、厳しい処分を恐れた藤原薬子は自害します。

この810年の嵯峨天皇と平城上皇の対立を薬子くすこへん平城太上天皇へいぜいだいじょうてんのうへん)といいます。

藤原冬嗣の活躍

こうして政治の混乱がおさまると北家ほっけ出身の藤原冬嗣ふじわらのふゆつぐが嵯峨天皇の側近として絶大な権力を握ります。

藤原冬嗣ふじわらのふゆつぐ蔵人頭くろうどのとうに就任して活躍しますよ。

蔵人頭くろうどのとうの詳細は下記の記事から確認することができます。是非、参考にしてみてくださいね。

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藤原北家の台頭のきっかけ!蔵人頭を超わかりやすく解説!

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