3分でわかる!平安京遷都の理由!簡単にわかりやすく解説

平安時代

長岡京遷都の失敗

桓武かんむ天皇は寺院勢力や政治的な争いと距離をとるために、784年に長岡京ながおかきょうに遷都します。

長岡京ながおかきょうは水陸ともに交通の便も良く、首都に最適な立地でした。

しかし、せっかくたくさんの費用をかけて長岡京を造営したにもかかわらず、たったの10年で、平安京へいあんきょうに遷都してしまいます(794年)。

なぜでしょうか?

家族の相次ぐ不幸から遷都を決意

785年、桓武かんむ天皇が大きな信頼をよせていた藤原種継ふじわらのたねつぐの暗殺事件が起きます。

補足

藤原種継ふじわらのたねつぐ式家の人物です。式家・藤原宇合ふじわらのうまかいの孫にあたりますよ。

長岡京遷都の翌年の出来事ですね。

このとき桓武天皇の弟(早良さわら親王)は捕まった末に自ら命を絶ちます。

さらに、桓武天皇の母親と皇后こうごう(第1位の妻)も相次いで死去してしまいます。

この結果、長岡京を不気味に思った桓武天皇は、和気清麻呂わけのきよまろのアドバイスもあり、長岡京と同じ、山背国やましろのくに(京都府)に平安京へいあんきょうを造営することを決意。

補足

長岡京を不気味に思った理由は早良さわら親王の怨霊おんりょうを恐れたからです。

794年には平安京へいあんきょうに遷都します。

ここからが平安時代のはじまりですね!

補足

長岡京から平安京への遷都のタイミングで、山背国やましろのくに(京都府)を山城国やましろのくにとし、国名を改めます。

まとめ

「長岡京→平安京」への遷都は桓武天皇の2大事業の1つです。

もう1つの大事業が蝦夷えみしとの戦争です。これを蝦夷征討えみしせいとうといいます。

蝦夷征討えみしせいとうの内容を下記の記事にわかりやすくまとめましたので、是非、あわせて参考にしてみてください!

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読むだけで面白いほどわかる!蝦夷征討を徹底解説!

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