律令制度を簡単に超わかりやすく解説!大宝律令の内容とは?

飛鳥時代

これから律令制度りつりょうせいどを簡単にわかりやすく説明していきます。

律令制度りつりょうせいどの「理解」を重視して、思い切って細かい用語は省略しました。

律令制度の基本的な仕組みは明治維新まで変わらないくらい、この先の日本史学習に影響するので、細かい用語を詰め込むよりも、「理解してもらうこと」を最優先したわけです。

主に高校日本史Bを扱いますが、中学生・大学受験生・教養として日本史を学ばれている方にとっておおいに役立つ内容になっていますので、是非参考にしてみてください!

律令制度とは

そもそも律令制度とは何なのか?から解説していきますね!

簡単に言えば、律令りつりょうとは法律のことです。

律令とは

さて、「りつ」とは刑法のことで、犯罪や刑罰についての決まりごとです。

一方、「りょう」とは行政法のことで、役人が守らなければいけないルールのことです。

律令国家とは

つまり律令制度とは、この律令りつりょうという決まりごとを土台として政治を行うことです。このように律令に基づいて運営される国家を律令国家りつりょうこっかといいます。

律令制度が必要な理由

当時の日本は律令制度を急いで整備する必要に迫られていました。中国がどんどん強大化していたためです。

従来の制度では、強大化する中国に対抗することができなかったのです。

そもそも大化の改新も古い制度をやめて、とうの律令制度を取り入れるために行われた政治改革です。

用語解説

とうとは当時、中国を支配していた世界的な大帝国です。

中国に負けないように、唐の制度を真似て、日本にも新たに律令を持ち込み、天皇に権力が集まる強い国家中央集権国家ちゅうおうしゅうけんこっか)をつくることが何よりも大切だったのです。

従来の古い制度では天皇に全ての権力が集まるような強い国家を実現するのは難しかったからです。

つまり、日本を外国と渡り合える強い国にするために、一番必要なものが律令制度だったわけです。

大宝律令の制定

こうした事情から律令制度を取り入れるべく、近江令おうみりょう飛鳥浄御原令あすかきよみはらりょうが出されましたが、どちらも「」のみで、「」はまだありませんでした。

そこで、「律」と「令」がはじめてそろった本格的な法律がつくられます。これが大宝律令たいほうりつりょうです。

大宝律令文武もんむ天皇の命令で、藤原不比等ふじわらのふひと刑部親王おさかべしんのうらが701年にまとめた法律です。

補足

養老律令ようろうりつりょうを知っている方は、律令制度って大宝律令と養老律令のどっちの内容なの?と思われるかもしれませんが、この2つの法律に大きな違いはありませんほぼ同じものと考えて大丈夫です

律令制度の内容を簡単にわかりやすく解説!

官位相当の制とは

これまでの氏姓制度では、うじ一族)にかばね身分)が与えられてきました。こうした古い制度を改め、新たに官位相当かんいそうとうせいをつくります。

官位相当の制では、かばねで身分を決めるのではなく、官位かんいで役人の身分(役職)が決まります。その結果、今までよりも能力に応じた人材採用が可能になりました。

また、官位相当の制には有力豪族が役職を独占することを防ぐ効果もありました。

二官八省とは

律令制度の統治の仕組みをかんしょうといいます。

二官とは朝廷のお祭りや儀式(祭祀さいし)を担当する神祇官じんぎかんと、政治のトップである太政官だいじょうかんのことです。

また太政官だいじょうかんの下には実務を担当する八省があります。八省とは現在の省庁のようなもので、次の8つの省のことです。

名称役割
中務省なかつかさしょう宮中の一般事務
式部省しきぶしょう人事・教育
治部省じぶしょう外交・仏事
民部省みんぶしょう民政・租税
兵部省ひょうぶしょう軍事全般
刑部省ぎょうぶしょう裁判・刑罰
大蔵省おおくらしょう財政
宮内省くないしょう宮中の庶務

地方支配の仕組み

律令制度では行政区画を定めました。行政区画とは現在の都道府県や市区町村のように全国を区切って分けることですよ。

律令制度では全国を五畿ごき七道しちどうに分けます。五畿ごき七道しちどうの下には66のこくを置き、国の下にはぐん、郡の下にはを置きました。

また里は50を1単位としました。つまり50戸で1です。郷戸ごうことも呼ばれ、1戸は平均20人前後で構成されていました。

これを国郡里制こくぐんりせいといいます。

つまり五畿・七道という大きな行政区画の下に国・郡・里があるわけですね。

公地公民制とは

従来は私地私民といって、土地と人民は、天皇や豪族といった有力者の私有物でした。これを改革したのが公地公民制で、土地と人民は全て国の持ち物という制度です。

班田収授法とは

公地公民制を支える具体的な仕組みを班田収授法はんでんしゅうじゅほうといいます。

班田収授はんでんしゅうじゅでは歳以上の農民に国から口分田くぶんでんという農地が貸し出されます。公地公民制では土地はあくまで国のものですから、死亡すると口分田は国に返さなければいけません。

農民は国から割り当てられた口分田くぶんでんを耕作し、税を納めるわけです。

税制

ここからは税の種類は確認していきましょう。

他にも税制はあるのですが、まず基本となるのが、調ちょうようという3つの税です。

とは口分田での収獲の約3%地方に納める税です。つまり租は地方税ですよ。中央政府に納める税ではない。

一方、中央政府に納める税が調ちょうようです。

調は絹・糸・鉄などその地域でとれる特産物を中央政府に納める税です。

庸は21歳~60歳の男性に課された労役で、遠い都まで行って、10日間働くことです。

用語解説

21歳~60歳の男性を正丁せいていといいます。つまり庸は正丁に課された税です。

しかし、庸は10日の間、都で土木作業などをするかわりに、を納めれば免除されました。そのため、実質的には労役ではなく、中央政府に布を納める税でした。

税が租・調・庸の3種類だけであれば、農民はさほど苦しまずにすんだのですが、実際には、この3つの税以外にもいくつかの厳しい税負担があり、農民の生活は極めて悲惨なものでした

今回は律令制度の理解を最優先しているので、その他の税制の解説は省略します。

戸籍・計帳とは

班田収授を実施するには戸籍こせき計帳けいちょうが必要不可欠でした。

戸籍とは口分田を農民に貸し与えるための根本台帳で、計帳とは税を徴収するための根本台帳です。

戸籍や計帳には名前、性別、年齢などの情報がまとめられていました。これらの台帳をもとに、口分田を割り当てたり、税を徴収するわけです。

まとめ

強大化する中国(唐)に対抗できる強い国家をつくらないと、日本が存続することすら危うくなるかもしれない。

こうした危機感から飛鳥時代の日本では律令制度の整備が急がれました。こうしてヤマト朝廷は律令国家への道を突き進んでいくのです。

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結果的に、律令制度の整備は成功しますが、奈良時代になると、公地公民制や班田収授がだんだんと崩壊していくことになります。

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