遣唐使を簡単に超わかりやすく解説!目的は何!?[高校日本史B]

奈良時代

この記事では高校日本史Bの範囲の遣唐使を超わかりやすく解説します。

大学入試に必要な遣唐使の知識は全て盛り込んでいますよ。

歴史能力検定や教養としての日本史学習にもおおいに役立つ内容になっているので、是非、参考にしてみてください!

遣唐使とは

630年に犬上御田鍬いぬがみのみたすきが初の遣唐使けんとうしとしてとうに派遣されました。

これは飛鳥時代舒明じょめい天皇の時ですね。

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この630年の遣唐使以後、894年に中止になるまでの間、遣唐使は20回計画され、16回渡海しています。

当時の世界的な大帝国であり、その都である長安ちょうあんや中国第二の都市である洛陽らくようが遣唐使の目的地でした。

遣唐使の目的

遣唐使の目的は律令制度をはじめとする唐の先進的な政治や文化を学ぶことです。

奈良時代の遣唐使

奈良時代の遣唐使でとくに有名なのは聖武しょうむ天皇橘諸兄たちばなのもろえ政権で活躍した、吉備真備きびのまきび玄昉げんぼうです。

また、吉備真備きびのまきび玄昉げんぼうと同じ回の遣唐使で唐に留学した阿倍仲麻呂あべのなかまろは唐の皇帝である玄宗げんそうに重く用いられ、唐の高官として活躍。日本に帰国しないまま中国で一生を過ごしました

平安時代の遣唐使

あるいは平安時代になると、最澄さいちょう空海くうかいも唐で仏教を学んで帰国します。

しかし894年になると菅原道真すがわらのみちざね建議けんぎで遣唐使は行われなくなります。「建議」とは意見を上層部に申し伝えることですよ。

語呂合わせ

白紙894に戻す遣唐使!

また、遣唐使停止の背景には「唐から学ぶべきものは全て学んだ」という判断があったと考えられています。

遣唐使のルート

遣唐使の航路、北路と南路

630年~7世紀後半の遣唐使では、安全性の高い北路ほくろを使って唐を目指しました。北路ほくろとは「九州→壱岐島いきしま対馬つしま→朝鮮半島→中国」というルートです。

ちょっと対馬つしまをGoogleマップで確認してみましょうか。ちょうど朝鮮半島と九州の中間にあって便利ですよね。

↑この地図の中心に位置する縦長い島が対馬。

しかし、663年の白村江はくそんこうの戦い以後、新羅しらぎとの関係が悪化します。

日本は遣新羅使けんしらぎしを何度も送っていますが、新羅を属国として扱おうとしたため関係が悪化したわけです。実行こそしませんでしたが奈良時代に活躍した藤原仲麻呂ふじわらのなかまろ新羅討伐計画を立てほど仲が悪かったのです。

これが原因で新羅(朝鮮半島)を経由する北路が使えなくなると、8世紀後半以降には非常に危険な南路なんろを用いるようになります。

遣唐使の航路、北路と南路

南路なんろとは上図の赤線のように九州から直接、中国に向かうルートです。南路は途中で嵐にあっても避難できる陸地がなくとても危険な航路でした。

ちなみに、遣唐使は約20年に1回のペースで実施され、20年ごとに4隻の船に分乗して400人~500人が海を渡りました。

そのため、遣唐使のことを「よつのふね」ともいいます。

しかし、前述の南路は、当時の技術では非常に危険なルートであったため、遭難などが原因で命を落とした人も数多くいました。

渤海について

また、遣唐使と少しだけ話しはズレますが7世紀末に中国の東北部渤海ぼっかいという国が起こると、渤海ぼっかいは唐や新羅に対抗するため頻繁に日本に使者を送るようになりますよ。

「渤海」は遣唐使とセットで外交史として入試に出題されやすいので、注意してくださいね!

ポイント

7世紀末に中国の東北部で渤海ぼっかいが建国された!渤海ぼっかいと日本は良好な外交関係を築いた

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まとめ

630年の犬上御田鍬の派遣~894年の菅原道真による遣唐使の中止までが日本と唐の外交史です。

この間、20回の遣唐使が計画され、16回の渡海が行わました。

遣唐使の目的は律令制度や仏教といった唐の先進的な技術や文化を学ぶことです。

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