3分で分かる!湿田と乾田の違い!

弥生時代

湿田と乾田の違い

縄文晩期に北部九州で始まった水稲耕作は紀元前3世紀頃には日本各地に広く普及し弥生文化が成立します(但し北海道と沖縄には水稲耕作は伝わりません!)。

「弥生文化の成立」については以下の記事を是非参考にしてみてください。

【保存版】読むだけで分かる!弥生時代まとめ!簡単に超わかりやすく解説!

湿田とは

さて弥生前期の初期農耕しょきのうこうでは低湿地ていしっちに作られた湿田しつでんが中心でした。

湿田は日当たりの悪い場所に作られたため生産性の低い水田でした。

なぜ日当たりの悪い場所に田んぼを作ったのかというと条件の良い場所まで水を引く技術がなかったからです。

ではなぜ水を引いてくる技術がなかったのかというと初期農耕の段階では「木製農具」を使っていたためです。

確かに弥生時代前期の時点でも鉄器は普及していましたが、農具自体は木製農具が主流だったわけです。

つまり弥生前期においては鉄器は木製農具を作るための工具として用いられるわけです。農具そのものが鉄製になるのは弥生中期以降なんです。

また初期農耕では、こうした生産性の低い低湿地にモミを直接まく直播じかまきが行われていました。また稲を収穫する際の穂首ほくびには石包丁いしぼうちょうが用いられていました。

石包丁は「石器」の一種ですよ!

乾田とは

弥生時代中期以降、鉄製農具てつせいのうぐが普及します。すると石包丁も次第に使われなくなりかわりに鉄鎌てつかまが用いられるようになります。

こうして鉄製農具が普及すると日当たりの良い場所まで水を引いてくることができるようになります。このような条件の良い場所に作られた田んぼを乾田かんでんといいます。

そのため乾田は湿田よりも生産性の高い田んぼでした。

さらに後期農耕の段階では直播じかまきではなくが行われるようになりさらに生産性が高まるわけです。

稲の保管施設について

ちなみに収穫した稲は貯蔵穴ちょぞうけつ高床倉庫たかゆかそうこに保管されました。

弥生農耕の有名な遺跡

また弥生後期の農耕跡としては静岡県登呂遺跡とろいせきが非常に有名です。セットで覚えておきたいキーワードですね。余裕があれば弥生中期の農耕跡である青森県垂柳遺跡たれやなぎいせきもおさえておきたいところです。

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まとめ

要は「湿田→乾田」という弥生農耕の発展は「鉄製農具の普及」により起こったというわけです。

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