白村江の戦い
斉明天皇の重祚
孝徳天皇が亡くなると、元皇極天皇が斉明天皇として重祚します。重祚とは同じ人物が再び皇位につくことですね。また斉明天皇は中大兄皇子のお母さんです。
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百済の滅亡
で、660年には唐・新羅連合軍によって百済が滅ぼされます。この滅亡した百済の生き残りであった豊璋がヤマト政権に救援を求めます。


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斉明天皇の死没
救援要請を受けた斉明天皇(元皇極天皇)は大軍を引き連れて朝鮮半島に向かいますが、高齢だったのもあって、九州・筑紫の地で死没してしまいます。
中大兄皇子の称制
これを受けて中大兄皇子が皇太子のまま政治を続行します。つまり天皇はいない状態だった。こうした政治の仕方を称制といいます。
白村江の戦い
そして、中大兄皇子の指示で、663年に朝廷軍が朝鮮半島に攻め込み惨敗します。これが白村江の戦いです。ちなみに「白村江」を「はくそんこう」と読んでもOKですよ。
また、あまりの大敗に戻ってきた船もかなり少なかったと言われています。


白村江の戦いで大敗した後、中大兄皇子は必ず唐・新羅連合軍が日本に攻めてくると考え、まずは九州の拠点である大宰府の防御を固めます。


具体的には、九州の大宰府周辺に水城、大野城、基肄城を築きます。
水城とは巨大な堤防のことで全長約1km、高さは14mにもなります。また大野城は大宰府の北に築かれた朝鮮式山城です。基肄城は大宰府の南に設置された朝鮮式山城ですね。
また九州や対馬には防人と呼ばれる農民兵士を配置します。さらに対馬~大和(奈良)にかけて大野城や基肄城だけではなく多数の朝鮮式山城をつくります。


さらに大阪湾から唐・新羅連合軍が攻めてくることを警戒して、難波から内陸の大津宮に遷都します。現在の滋賀県、琵琶湖のほとりですね。
そして668年になると中大兄皇子はようやく天智天皇として即位します。

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一問一答!
1.(①)年、倭・百済の連合軍は唐・新羅の連合軍と(②)で戦闘を行い大敗した。[明治大・改題]
2.白村江の敗戦後、唐や新羅の反抗を恐れた朝廷は、巨大な堤防である( )を築いて大宰府の防備を固めた。[慶応大・改題]
3.唐・新羅連合軍の侵略を恐れた中大兄皇子は、国防の強化に努め、都を(①)に遷都し、(①)で(②)天皇として即位した。[法政大・改題]
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