3分で分かる!楽浪郡と帯方郡の違い[日本史B]

日本史

楽浪郡と帯方郡の違い

『漢書』地理志の時代には楽浪郡に使者を送っていた

楽浪郡らくろうぐんは紀元前108年に前漢ぜんかん武帝ぶてい朝鮮半島に設置した植民地です。楽浪郡は現在のピョンヤン付近にありました。つまり楽浪郡は朝鮮半島に位置していますが、中国の領土です。

漢書かんじょ地理志ちりしによれば紀元前1世紀の日本は100余りの小国に分かれていて、それらの小国の中には楽浪郡に定期的にお土産を持って挨拶に行く国もありました。こうした行為を朝貢ちょうこうといいます。

つまり倭国の様々な小国が楽浪郡に使者を送っていたわけですね。

ゆん
ゆん
なるほど!中国にお土産をもって挨拶に行く際は朝鮮半島の楽浪郡に使者を送っていたわけね!
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後漢が楽浪郡の南に帯方郡を設置

時は流れ、1世紀になると前漢が滅び、後漢ごかんが中国を統一します。このとき後漢の公孫氏こうそんしが楽浪郡のさらに南に設置した植民地が帯方郡たいほうぐんです。帯方郡は現在のソウル付近にあたります。

涼子
涼子
1世紀前半に後漢が楽浪郡の南に作ったのが帯方郡というわけね!

『魏志』倭人伝の時代には帯方郡が朝貢の窓口だった

220年に後漢が滅びると中国は「しょく」の三国時代さんごくじだいに突入します。三国時代になると、帯方郡は「魏」の領土になります。『魏志』倭人伝によれば3世紀前半になると倭国30の国々は魏に朝貢するようになります。

この30余りの国々の連合国が卑弥呼ひみこ、率いる邪馬台国やまたいこくです。邪馬台国は魏にお土産を持って挨拶に行く(朝貢する)際、帯方郡を通じて魏に使者を送っていました

明日香
明日香
💡 3世紀になると倭国(邪馬台国)は楽浪郡ではなく「帯方郡」を通じて中国の魏に挨拶に行くようになるのね!

つまり漢書かんじょ地理志ちりしの時代(紀元前1世紀)には日本は楽浪郡を通じて中国に朝貢していた。しかし魏志ぎし倭人伝わじんでんの頃(3世紀、弥生時代後期)になると日本は帯方郡を通じて中国と朝貢していました

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高句麗が楽浪郡を滅ぼし帯方郡を支配

ちなみに楽浪郡は313年に高句麗こうくりに滅ぼされます。帯方郡も同じ313年に高句麗の支配下に入ります。

これが楽浪郡帯方郡の違いです。

涼子
涼子
つまり漢の時代に朝貢するときは楽浪郡を通じて、中国に挨拶に行ってたってことよね!
そうそう、そして魏の時代には帯方郡を通じて中国に挨拶に行っていたというわけね!
ゆん
ゆん

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