『宋書』倭国伝の内容を簡単にわかりやすく解説一問一答付き(日本史史料)

日本史

『宋書』倭国伝の効率的な覚え方と暗記方法

『宋書』倭国伝の概要

宋書そうじょ倭国伝わこくでんを書いたのは沈約しんやくという人物で、5世紀の日本の様子が記されています。5世紀と言えば古墳時代中期ですね。大阪大仙陵古墳などの巨大な前方後円墳が出現する時期ですよ。

『宋書』倭国伝の内容を簡単にまとめると、ヤマト政権大王おおきみである倭の五王さんちんせいこう)がそう南朝なんちょう)に朝貢ちょうこうすることで朝鮮半島における政治的立場を強化し、ヤマト政権を発展させようと試みたことが書かれています。

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『宋書』倭国伝の覚え方・暗記方法

この記事では『宋書』倭国伝の内容を超わかりやすく解説していきます。また記事の最後には下記のような一問一答を7問設置してあります。

例題「順帝の昇明二年」とは西暦何年か?[甲南大]

※「+解答解説」ボタンを押すと「解説」と「答え」を確認できます。

解答解説
正解は西暦478です。『宋書』倭国伝は5世紀の倭について書かれた歴史書でしたね。「順帝じゅんてい昇明しょうめいねん」というフレーズを見たら「あ!『宋書』倭国伝だ!」と思うようにしましょう。

一問一答では記事中で登場する重要な日本史用語のほぼ全てを「暗記/確認」できるようになっています。是非活用してみて下さい。

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『宋書』倭国伝の超わかりやすい解説

さて、早速ですが宋書そうじょ倭国伝わこくでんの本文を確認していきましょう。

『宋書』倭国伝(1)
こうしておとうとつ。みずか使持節都督倭しじせつととくわ百済くだら新羅しらぎ任那みまな加羅から秦韓しんかん慕韓ぼかん七国しちこく諸軍事しょぐんじ安東大将軍あんとうだいしょうぐん倭国王わこくおうしょうす。

冒頭の部分は省略しています。『宋書』倭国伝で一番大切な部分は「興死して~」です。まず「こうしておとうと」ありますが、これは5世紀のヤマト政権の大王おおきみについての記述です。こうとは倭の五王さんちんせいこう」ののことですね。

興は当時の安康あんこう天皇だと考えられています。その興が亡くなって弟の武が王位についた。武は雄略ゆうりゃく天皇だと考えられています。その武が「使持節都督倭しじせつととくわ百済くだら新羅しらぎ任那みまな加羅から秦韓しんかん慕韓ぼかん七国しちこく諸軍事しょぐんじ安東大将軍あんとうだいしょうぐん倭国王わこくおう」と名乗ったわけです。

使持節都督倭しじせつととくわ七国諸軍事しちこくしょぐんじ」は軍事的権限のようなもので、「百済くだら慕韓ぼかん」は朝鮮半島南部の地名を列挙しています。つまり日本~朝鮮半島南部にかけては雄略天皇(武)の支配権が及ぶ地域だと主張したわけです。

さて、さらに続きを確認していきましょう。

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倭王武の上表文

『宋書』倭国伝(2)
順帝じゅんてい昇明しょうめいねん使つかいつかはしてひょうたてまつる。いわく「封国ほうこく偏遠へんえんにして、はんす。むかしより祖禰そでいみずか甲冑かっちゅうつらぬ山川さんせん跋渉ばっしょうし、寧処ねいしょいとまあらず。ひがし毛人もうじんせいすること五十五こく西にし衆夷しゅういふくすること六十六こくわたりて海北かいほくたいらぐること九十五こく。…。

宋の順帝の「昇明二年」とは西暦478年のことです。この年に雄略ゆうりゃく天皇(武)は使者を送ってきて上表した。上表とは雄略天皇が順帝に宛てた手紙のことです。その手紙に以下のことが書いてあった。

私の国は中国から遠い田舎にあって、私の祖先は自ら甲冑かっちゅうを着て、山を越え、川を渡り、各地で戦って、休む暇もありませんでした。東では毛人もうじんの国55国を平定し、西では衆夷しゅういの国66国を征服し、海を渡って朝鮮半島の95国を平定しました…。

これを「倭王武わおうぶ上表文じょうひょうぶん」といいます。「毛人」、「五十五」、「衆夷」、「六十六」、「海北」、「九十五」は難関大の穴埋め問題で狙われることもあるので要注意です。

つまり『宋書』倭国伝にはヤマト政権の統一過程が書いてあるわけです。『宋書』倭国伝にはさらに続きがあります。

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順帝からの返信

「倭王武の上表文」に対して宋の順帝は以下のような詔を発布し、雄略天皇に称号を与えます。

『宋書』倭国伝(3)
みことのりして、使持節都督倭しじせつととくわ新羅しらぎ任那みまな加羅から秦韓しんかん慕韓ぼかん六国ろっこく諸軍事しょぐんじ安東大将軍あんとうだいしょうぐん倭王わおうじょす。

順帝は雄略天皇に「使持節都督倭しじせつととくわ新羅しらぎ任那みまな加羅から秦韓しんかん慕韓ぼかん六国ろっこく諸軍事しょぐんじ安東大将軍あんとうだいしょうぐん倭王わおう」という称号を与えます。

雄略天皇は『宋書』倭国伝の冒頭で、自らを「国諸軍事安東大将軍」と名乗っていますが、順帝から与えられた称号は「国諸軍事安東大将軍」です。

減っているのは百済くだらですね。百済は武よりも以前に中国に朝貢し、将軍の称号を与えられていたため、武には百済の将軍の称号は与えられなかったわけです。

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江田船山古墳出土鉄刀銘

また、熊本県江田船山古墳出土鉄刀銘えだふなやまこふんしゅつどてっとうめい埼玉県稲荷山古墳出土鉄剣銘いなりやまこふんしゅつどてっけんめいには、「雄略天皇の別名」が記されています。それがワカタケル大王のおおきみです。漢字で書くと「獲加多支鹵わかたけるの大王おおきみ」です。大学入試では読みも漢字も出題されるので注意して下さいね!

つまり、

雄略ゆうりゃく天皇=獲加多支鹵大王わかたけるのおおきみ

です。

さて、『宋書』倭国伝の解説はここまでです。ここからは大学入試の過去問を中心とした一問一答で知識を「暗記/確認」していきましょう!腕試しに是非ご活用下さい。

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一問一答!7題

※「+解答解説」ボタンを押すと「解説」と「答え」を確認できます。

1.朝鮮半島南部をめぐる外交・軍事上の立場を有利にするために、倭の王が中国の南朝に朝貢したことを記録する中国の歴史書は何か。[西南学院大]

解答解説1
正解は宋書そうじょ倭国伝わこくでんです。著者は沈約しんやくで、5世紀の日本の様子が記されています。4世紀頃に成立したヤマト政権の成り立ちを知ることのできる貴重な文献ですね。

2.倭の五王を宋に朝貢した順に並べると(①)・珍・済・(②)・(③)となる。[慶応大・改題]

解答解説2
正解は①さん、②こう、③です。倭の五王が宋に朝貢した順番はさんちんせいこうです。ちなみに済は允恭いんぎょう天皇と考えられていて、済の息子が興と武です。興は安康あんこう天皇、武は雄略ゆうりゃく天皇にあたると考えられています。さらに「武=雄略天皇=獲加多支鹵大王わかたけるのおおきみ」でしたね。

3.『宋書』倭国伝には「順帝じゅんてい昇明しょうめいねん使つかいつかはしてひょうたてまつる。」とあるが「昇明二年」とは西暦何年のことか?[甲南大・改題]

解答解説3
正解は西暦478年です。

4.倭の五王のうち済は允恭天皇、興は安康天皇、武は(  )天皇に比定されている。[早稲田大・改題]

解答解説4
正解は雄略ゆうりゃく天皇です。5世紀末頃の大王おおきみです。

5.武が順帝に宛てた上表文には「封国は偏遠にして、藩を外に作す」とあるが「封国」とはどの国のことか。[國學院大・改題]

解答解説5
正解はです。封国ほうこくとは自国のことですね。

6.熊本県の(①)古墳出土鉄刀銘や埼玉県の(②)古墳出土鉄剣銘はヤマト政権の大王「ワカタケル」と地方の首長の強い結びつきを示している。[南山大・改題]

解答解説6
正解は熊本県の①江田船山えだふなやま古墳埼玉県の②稲荷山いなりやま古墳です。

7.5世紀には、大型の前方後円墳が築かれるようになった。5世紀後半には、ヤマト政権の影響力が関東地方から九州にまで及ぶようになったようで、埼玉県の稲荷山古墳からは「(  )大王」という文字が刻まれた鉄剣が発見された。[関西大・改題]

解答解説7
正解は獲加多支鹵大王わかたけるのおおきみです。雄略天皇(武)のことですね。

おわりに

ここまで読んでいただき本当にありがとうございました!繰り返し当記事の解説や一問一答を読み込むことで、日本史の知識が定着しますので、是非、この記事をブックマークして日本史学習の参考にして頂ければ幸いです!

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