続縄文文化と貝塚文化の違いは?一問一答付き!

日本史

続縄文文化と貝塚文化とは?

弥生時代になると水稲耕作が本格化しました。しかし日本全国に普及したわけではありません。水稲耕作は主に九州北部~東北地方に広がります。

一方、北海道沖縄弥生時代に入っても狩猟採集文化のままでした。

北海道の続縄文文化

北海道には弥生時代になっても農耕文化は伝わらず、この時期を続縄文文化ぞくじょうもんぶんかといいます。続縄文文化は鉄器文化期です。農耕文化が伝わっていないので、食料については狩猟採集が中心でした。

沖縄の貝塚文化

さらに沖縄を中心とする南西諸島にも農耕文化はとどきませんでした。沖縄を中心に展開された狩猟採集経済の文化を貝塚文化かいずかぶんか南島なんとう文化)といいます。

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一問一答!

ここまでの解説に出てきた日本史用語の暗記に役立つ一問一答を設置しました。定期試験・大学入試・歴史能力検定対策に是非活用してみて下さい。

※「+解答解説」ボタンを押すと「解説」と「答え」を確認することができます。

1.紀元前3・4世紀頃、約1万年の長期にわたった縄文文化が終わり、(  )文化が成立した。[早稲田大・改題]

解答解説1
正解は弥生やよい文化です。

2.弥生文化が形成された当時、北海道では(①)文化、南西諸島では(②)文化が形成された。[上智大]

解答解説2
北海道では①続縄文ぞくじょうもん文化沖縄や南西諸島では②貝塚かいずか文化(南島なんとう文化でも正解!)が展開されました。いずれも農耕経済ではなく、狩猟採集中心の獲得経済です。

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