前回の講義風まとめ⇒旧石器時代(更新世)と縄文時代のまとめ
講義風で暗記しやすい日本史総まとめの第2回目です。今回から3回にわたって、弥生初期⇒弥生中期⇒弥生後期と弥生時代を解説します。この記事では「弥生初期」の解説をします。
※次回は弥生中期を、その次の回では弥生後期を解説します。
弥生文化の成立(弥生初期)
さて、縄文時代が終わり、ついに弥生時代がやってきました!
弥生時代といえば稲作(いなさく)!
と覚えている方も多いと思います。
しかし注意して下さい。稲作が始まったのは縄文時代晩期です。縄文時代の最後の方にはすでに稲作がはじまっていたんですね。
なので弥生時代は稲作が始まった時代ではなく、稲作が広まった時代です。
では、縄文時代晩期にどこで稲作が始まったのか?-九州北部です。
そして、縄文時代晩期の九州北部における代表的な稲作の遺跡が2つあります。
- 佐賀県の菜畑遺跡(なばたけいせき)
- 福岡県の板付遺跡(いたずけいせき)
そして前述した通り、縄文晩期に始まった稲作は、弥生時代になってから全国に広まっていきます。しかし、弥生時代になっても稲作が普及しなかった地域が2つあります。それが北海道と沖縄です。なので、北海道と沖縄は弥生時代に入っても狩猟採集経済のままでした。
そのため取り残された北海道と沖縄には弥生文化とは異なる独自の呼び名があります。
- 北海道・・・続縄文文化(しょくじょうもんぶんか)←読み方注意!
- 沖縄・・・貝塚文化
弥生文化と言えるのはどんな特色をそなえた文化なのか?
言わば弥生文化が成立する条件ですね。これは4つあります。
- 水稲耕作を基礎とする食料生産段階にはいっていること。
- 青銅などの金属器を使用していること。
- 機織(はたおり)技術など新しい技術をもっていること。
- 弥生土器を使用していること。
弥生土器についての基礎知識
では4番の弥生土器はどこで発見されたのか?
-東京の本郷弥生町です。現在の東大のキャンパス内ですね。
そして弥生土器の主な用途は以下の3つです。
- 煮炊き用の甕(かめ)
- 貯蔵用の壺
- 食物を盛る高坏(たかつき)
尚、弥生土器の色は赤褐色です。Google検索や資料集で写真を必ずチェックしておきましょう!暗記が捗りますよ!
縄文文化と弥生文化のつながり
弥生時代に入ると大陸から金属器や稲作といった新しい文化がはいってきます。しかし、弥生時代になっても、縄文時代の暮らし(打製石器や竪穴住居)はそのまま引き継ぎました。
余剰生産物と争い
弥生時代にはいり、農耕が本格化すると食料が余るようになりました。生産技術が大幅に上がった結果、食べてしまうよりも多く食料をつくれるようになったわけですね。こうした余った食料を余剰生産物と呼びます。この余剰生産物は「争い」の種になります。
こうして争いが頻繁に起こるようになった結果、武器や防衛施設が必要になりました。
例えば、弥生時代になると環濠集落(かんごうしゅうらく)が登場します。環濠集落とは村の周囲に堀をめぐらせることで、外敵の侵入を防ぐ集落のことです。尚、環濠集落の遺跡は試験に出ます。佐賀県の吉野ケ里遺跡です。
また防衛のため、山の上につくられた集落もあります。これを高地性集落と言います。高地性集落の遺跡としては、香川県の紫雲出山遺跡(しうでやまいせき)が有名です。これも入試頻出ポイントですね。
まとめ
ここまで読んで頂きありがとうございます!今回は弥生初期の重要ポイントをまとめました。次回は弥生中期の解説をしていきたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします!
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