なぜやるべきことを実行できないのか?
予期と実際は正反対だ。
予期に惑わされて、実際をないがしろにしてはいけない。
予期とは、例えば勉強をしようとするとき、
- 「で?それが何になるの?意味ないじゃん!やる気しねー」とか、
- 「めんどくさい、やりたくない、もっとダラダラしていたい」
となることがあるが、実際に家事なり勉強などをやってみると、予期と正反対の結果になる。
「なかなか面白いじゃないか、意味は大有りだ」という風に思考が真反対に転換するのだ。
さらに作業に没頭し、時間を忘れて、どんどん仕事がはかどることも、けっして珍しくない。
このように、行動すると認知は正反対に転換する。
これには、作業興奮と生理学的な神経の興奮が深く関わっている。
つまり「ボーっとして何もしてない状況」というのは、神経系が沈滞している状況である。そのような状況で、「これから~をしよう」と予期(想像)してみても、そのビジョンに対して否定的な気分を抱くのは当然のことだ。
この未だ見ぬ未来を想像して、想像の中で未来を疑似体験することで「億劫感」や「無気力感」が生じる。
なぜなら、未来を予期している時点では、神経系が休憩モードに入っているからだ。
休憩モードの視点から見て、なんらかの生産的な活動を行う想像は、ネガティブで厄介なモノに感じられるのだ。
「やる気」というのは一種の神経系の興奮であるから、何もせずにダラダラしていたら、やる気は滅多に出てこない。実際、ベットに寝転がってテレビを見たり、ゲームをしていても、生理学的興奮は生じない。
逆に、行動すると、神経が興奮し、やる気が出てくる。それだけではなく興味を感じなかった事柄にも好奇心を抱くようになる。
想像の段階で「つまらないからやりたくない」と感じていても、実行に移せば、「なかなか面白いじゃないか」という風に認識が反転する。
想像から感じ取れる疑似的な「気分の反応」は「実際にやってみて、はじめて感じる印象」とは正反対の関係にある。
当然、予測よりも、実際の方が作業にたいする正しい解釈なのだから、実際を重視し、予期に惑わされてしまわないようにすると便利だ。
このことを端的に言えば、
「行動はやる気の母である」
と表現することができる。
逆に、「ダラダラして作業をしないこと」は、無気力感をますます増大させて、場合によっては、自己嫌悪にもつながりかねない。
このような原理から、やる気が出たら仕事・勉強・家事などをしようと考えても、なかなかうまくいかない。神経が停滞している状態で、未来を想起し、どんな結果になるのか、頭の中でシミュレーションしてみても、その「冷めた神経」を基準に想像の世界に対して、心理的に反応してしまうので、結局、「やる意味出ない、億劫だ」という解釈になってしまう。
そうなると、タスクに手をつける気が失せる。そして、ついついいつまでもダラダラして無為な時間を過ごしてしまう。
反対に、やる気を創り出すために、「まずは簡単なことでいい」ので行動するといい。そうして、小さな行動が、だんだんと大きな行動につながってゆき、最終的には、気力を高め、充実感や達成感を生み出す。
人は、本来的に、仕事や作業することが大好きなのだ。人は行動し、作業するように、先天的にデザインされている。